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家族
最も一番 絆の深いこの世だけの家族と言う形の ソウルメイトなのです
この世で 出会うソウルメイト達は数多く居りますが この世に誕生した時より 死を迎える瞬間まで共に学びあう時間が一番多いのが 家族たちです

家族と言っても 大家族から小家族まで 家族の形は多種多様ですね
家族の人数が多ければ 学びも何倍にもなりますし 人数が少なければ 又 別の学びがあります
前世では学び終えたもの復習 又は学び得なかったものを今世紀に持ち越し より多くを共に永い時間をかけ ゆっくりと学ぶ家族の構成が あなた方や私達が望んだ今回の学びの為に必要な家族の形です

今の家族の形の中で 祖父母 義理の祖父母 ご両親 義理のご両親 夫 子供達 自分自身に対して 不満や 過去に受けたトラウマ 恨み 憎しみ 悲しみ 引きずっている様々な感情 後悔や懺悔 又は感謝 等は 今世紀に学ぶべくして起きている課題なのです

今現在 おきている問題が子供の事とします

子供と相性が悪い する事なすこと 一々気に触る 話しかけられても話し相手になるのも煩わしい 可愛いと思えない 勉強が出来ない 宿題をしない と自分自身が親の立場から見て こんな風に もし子供に感じている自分が居たとしたら こう考えてみてください

今与えられている課題は 自分自身の子供のころ 親に対して同じ事をしていた子供であった事を 冷静に判断してみてください
必ず思い当たる事がある筈です
思い当たったら 素直に心の中で良いから 親に対して謝罪してください
自分自身が子供を授かり 子育てをして行くうちに 子育てしてくれたご両親や祖父母達の自分に向けられた 様々な感情を思い出して 子供のころに蓄積されたトラウマや 誤解の感情を清算する期間だと思われます

私も子供のころ 母親に捨てられ その母が再婚すると妹と二人 再婚相手の義理の父が引きと取ってくれました 母が出て行ったのは まだ4,5歳の頃の 母親が恋しい年頃の事です
引き取られた頃の私は 小学4年生で 生意気盛りが入っていましたから 随分私は反発し 子憎たらしい子供だったと 今だから思います
母が年を取ってからも 私は母の顔を見れば 何時もイジイジと言葉で嫌味ばかり言っていましたが ある日 ふっと気づいたのです 母はどんなに嫌味を言われようと 暇があれば 何時も私に会いに来るのです
それも いそいそと嬉しそうに会いに来るのです
何故か? 不思議に思い 母に「 ひょっとして 私がこんな風に 昔のことを嫌味を言えば言う程 自分の罪が消える気がしているのでは?」 と 聴きました
母は 一言「・・・・・( 照れくさそうに) そうじゃないかと思う」 と 言いました
その一言で 今までの母に対する恨みや 憎しみが氷解して 心の重みがす~と軽くなっていくのが 判りました
母は 言葉で謝罪するのではなく 私の罵詈雑言を 私の気の澄むまで 喜んで受けていてくれていたのです
これが 母の子供の私に対する愛の表現の方法だったのです
母は 私にとっては人生の教師だったことを気づかせてくれました

日々の忙しさに追われ 考える事も気づく事もせずに過した場合は 孫の子育てで復習をしても決して遅くはありません
このように 常にやり直す機会がやってきます

夫 妻 との関連
女は男を 男は女の本質 気質を学ぶべく 一つの屋根の下で 同じ食べ物や子供を通して共同体の生活の中から 互いを深く理解し あ、うん、の意思相通を学ぶのです
若い間は 互いに自分を理解して欲しいと言う一方通行だけの意思疎通ですが 長年生活を共に 同じ事で泣き 笑い 怒り 悲しみを体験していく内に 互いの思考が読めるようになり 夫という男 妻と言う女を理解できるようになるのです

皆さんの周りにも居られる 年寄りの夫婦を良く観察してみてください
年をとられると人柄が 丸くなられた方や 女の人よりイジイジして あいつは女の腐ったような奴だ と言われる方等 年をめされると変わられる方が多いですね

内の主人は若いころ 家に居るときは 主人の周りだけ空気が 何時もピリピリと張り詰めており それが子供達や私に伝わり 言葉さえかけることがはばかれる位 気を使う人でしたが 神を信じるようになってからは お互いに良く心を開くように喧嘩をして 考えの相違や 今まで理解しようともしなかった事にも 少しずつ関心を持つようになり 今は私の顔色一つで察知し 自分から話しかけてくれるようになりました
お陰で 何時までも怒りや 悩みを持ちこす時間が短くなり それこそ あ、うん、の呼吸で互いの思考が読めるようになってくれて 随分私は楽をさせてもらっています

まだ私達が若い頃 年上の方が 本当の夫婦と呼べる様になるには 50歳を過ぎないと判らないよ と 言われた事の意味が ようやく判って来ました
 

女の人は 年をめされると段々男の人のように 言葉使いから考え方 話の仕方 態度 歩き方容姿さえ 男の人のようになってきます

このように見ていきますと 男女共に 中性になっていくように感じます
そう話してる私が まずそのようになって来ました
皆さん すべての方がそうなるとは限りませんが 中身の男らしさ 女らしさは若いときより意味が変わってくる事は仕方がない事ですね

今現在 様々な事が起きているのなら 過去に蒔いた種が時期相応に芽を出している状態なので 早く気づいて大地にしっかり根をはらない内に 対処する事です

蒔いた種が発芽した時に起きる問題は 自分が起こした問題事より何倍も 事が大きく自分に帰ってきます

私の大切な友人が このブログ 「家族」 を読んで 「主人や子供の事で悩みや不満を持っている人が沢山いる」 「皆が家族は自分自身なんだと 早く気づけばどんなに救われるだろうと常々思う」 と このブログの短い文から ここまで深く理解してくれたのかと 私は感激しました

家族と言うテーマは 感嘆には語れないところがあります
人それぞれの家族のあり方に理想があり その目標に向かって日々皆さんは頑張っていると思います



 
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by hikarinoie | 2007-11-27 21:18 | 家族
降伏と解放
降伏と解放とは 簡単に言うならば 自分自身が問題を抱え 手に負えないものに何時までもしがみつかず さっさと降参して神様に助けを求めなさい そして神様に委ねたら もう安心してその問題の事を手放し 何時までもウジウジと考えるのを止めなさい と言っているのです

ですが 残念ながら考えないでおこうとすればするほど ふっと正気に戻るとやはりしっかりと陰険に その問題事に まるで磁石に引き付けられるように 又考えている自分がいることに気付かされ そんな事の繰り返しで 益々落ち込んで行く自分に自己嫌悪を覚えてがっくりします

皆さんにも覚えがあると想いますが 人間って弱いものです
神に委ねた筈 神を信じた筈 これで自分は救われる筈の心算が 心の奥深くに聞こえる声があるのです
それはこう呟くのです「神なんて本当に居るのだろうか?」 「神がどんなことでも救ってくれるのなら もっと幸福な人が多いのでは?」 「人間を我が子だと言うのなら 何で可愛い子に苦しみを与えるんだ?」 「助けてと頼んだのに 助けてくれないじゃないか?」 等と その他 色々耳に囁くのです
囁かれるとその言葉のほうを信じてしまい 神に不信感を抱き 又問題事や悩みに執着してしまうのです

人によっては 起きて欲しくない事を 先に考えることは必要だと言います
確かにそれも正解だと思います
でもマイナスの起きることばかり考えて 手立てを打たないのなら 考えないほうが良いと思いませんか?
「まだ起きもしないことに 不安や恐れを抱くは 愚の骨頂 」問題や悩み事が起きてばかりいるのは 自分自身がその問題や悩み事の願いをかけ その願いを叶えているのです
色々な問題事や悩み事が起きてほしくなかったら 心にふっと浮かんだ時点で すぐに神に今の思考に浮かんだ不安感を委ねてしまう事です
そして 心の奥深くにまで潜む闇の部分を解き放ち 心を束縛することを止め 自由になることが出来れば 問題事や悩みは自然に消え去り 状況が好転してきます

自分の思考の癖が完全に解き放たれ コントロールすることを止めれば 奇跡は起きてくると神は言っています
自分自身の思考の癖に気づいたなら ひとつひとつ神に委ね解き放つことを繰り返してみてください
そうする事で 意識しなくても自然の内に 解き放つ癖が完全についてきたら もう一安心です
この方法を自分のものにすると 自分の心がとても癒され自由だと教えられます



あっさりと 降参したほうが楽になると判っていても 何故 手放せないのだろうか?

真剣に悩み 真正面から戦い 解決する事のほうが正義だと思っているのだろうか?

簡単に手放す事は 余りにも誠実さに欠けるとでも思っているのだろうか?

真実 無責任かも知れないが 何もかも放り出したくなる時がある

世の中には 簡単に何もかも放り出し 自由を得たと勘違いしてる人達も居ないではない
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天国と地獄
天国と地獄は死後の世界だけの話ではありません

今 生きているこの世でも 皆さんは経験をしている事なのです
自分自身の精神世界の中に 天国もあり地獄もあって 日々の生活の中で皆さんは経験していることに気づきませんか?

私たちは肉体を持った魂の存在を知っています
その魂が この世での成長を促す為の学びを 四つの感情をフル回転して経験を望みます
四つの感情とは 喜 怒 哀 楽 であることは もう皆さんはご承知だと思います
喜ぶ 楽しむ の中に 怒る 哀しむ が入っている

当然 喜 楽 は天国で  怒 哀 は地獄の 感情体験です

皆さんは 心 又は心臓のマークをハートで示しますね 
ハートマークは左右均等に同じ形をしています 今更言わなくてもそんな事は重々知っていることですね
右を天国 左を地獄としたら丁度半々で 見た目にはバランスが取れているように見えますが これが 右の天国の部分が地獄の方に広がり 左の地獄の部分が少なくなっていくことが理想です
自分自身が苦しみ 悲しみの体験をし これをやっと乗り越えられた人達は 人々の苦しみ 悲しみを深く理解でき 慈しみ 愛の心を持って奉仕と言う形で人々に表現できるようになります

皆さんも 一度ならずとも人を憎んだことはありませんか? 「あの人さえ私の目の前から居なくなれば良いのに」 「あの人なんか死んでしまえば良いのに」 「この子さえ生まれなければ私はもっと自由なのに」 等と 思った経験はありませんか?
これは実際には行動に出していないだけで 精神世界の中では殺人を起こしているのです 
思っただけで殺人を起こしたなんて と 思うでしょうね
精神世界でどんな事を思うと 確かに人間にはわかりません
が 神と魂にはしっかり知られ 心の声を聞かれているのです
精神世界で殺人を犯すのと 実際に殺人を犯すのとでは 神の世界から見れば大差がないと言います
何故なら 「事故で死ね」と強く念じればその願いは叶い 実際に念じられた者は 生死は別として事故にあうからです
念じた想いが叶い 念じられた人が事故にあったことを 念じた本人が後悔し 神に懺悔し 許しを請い 深く反省した時から 以前の考えを改め 人々に対して慈しみの心を持つようになれば その罪は消えると言います
このように 悪の心を一時は持ったとしても 深く反省し以後 心改め自愛の心を持つことで より深く人々に対する行動 言動に真実の愛を持つてるようになります
このようにプラスに思考を変化できた人と 益々アリ地獄に陥ってしまう人もおります
そんな人達は 悪知恵が活性化されて 言葉巧みさを身につけてしまいます
どんなに言葉巧みに 愛や慈しみを表現しようとしても 所詮うわべだけの 心のこもらない言葉だけなのです
うわべだけの心のこもらない言葉だけだから 尚更いくらでも言葉巧みになれるのです
それを見抜けなくて 悪い人に騙されたと言う人がおられますが それは自分自身が地獄の心の経験 体験不足からくる未熟な自分を教えられていると解釈してください

確かに人を騙すのですから 決して賞賛しているのではありません
騙すより騙されるほうが 良いのではと言う意見が圧倒的に多いのも分かります
ですが 人々を如何に上手く騙そうかと 経験から学んだ悪知恵を絞る努力を買うのです
誠に言うなら 悪人を褒めるとは何事ぞ とお叱りを受けて当然ですね
騙されるほうは 騙されていることに気づこうともしない 又は 薄々気づいたとしても その事を言うことで 相手と揉める事を恐れて口をつぐんでしまった結果 騙されたと泣き言を 後から言っても遅いことを知って欲しいのです ( 最初に仏顔 最後に鬼の心 最初に良い人間を演じ 後には 地獄の鬼と化す事を言う)騙された理由に語る言葉は 「その人を全面的に信頼していたのに 私を裏切った」と言います これは全く無知たることを前面に出した逆恨みですね

無知を無知で受け止めてしまったら 地獄の学びを得たことにはならないので 高い授業料を払った分 これで人の思考を読める心眼を多少は開けたのだと 自分自身とその人を許しましょう

これは精神世界の思いの整理であって 一般の法的な制裁は 又 別の問題です

昔の人がこう言います 「苦労は買ってでもしろ」  この喩えは わざわざ貧乏をしなさいと言っているのではなく 「人様の役に立てられる人間になるには 精神的な苦労人にならないと 人の心を思いやれない」と言っているのです
確かに貧乏を体験した事のない人には お金に対する価値観や学歴への価値観 経歴への価値観 人間関係や交友への価値観も 少しズレがあるように感じます

私たちがこの世でどのような人生を歩み 生を受けた意義や気づきを どれだけ得られたかによって あの世の行き先 段階が決まります
精神世界の中の天国と地獄は魂の経験の記録となり 死ぬ間際の思いもそのまま死後の世界へと移行します
このように 死後の事を気にして不安や恐れを懐く前に 今 この人生を精一杯悔いのない意義のある生き方をしたなら 必ずその生き方そのままが 死後の世界へと移行するだけですから  如何に今生きている間が大切かが お分かりいただけるかと想います

神仏を恐れ 狭い範囲の思考を持つのではなく 喜怒哀楽 の四つの感情をフルに使って 感情豊かな人生を体験し 楽しみながら歩みなさいと言っているのです
楽しみながら感情を多くを学び 世間一般の常識に拘らずに 自分自身の学びから得た善悪を判断し 形式や儀式を取り払い もっと自由な思考の世界を得ることです

天国とは 人間社会で得た 名誉 財産 地位 等 一切関係なく自由な世界 誰もかもがすべて平等なのです
この天国の世界全体が 愛や慈しみに溢れ 自分や人々への奉仕を喜びで与える所なのです 
大切な家族と居たいと思えば思うだけで実現し 理想の風景や家 家具 容姿さえ自由に変化できる世界なのです
こう言う思考が深く理解出来るようになれば 死後 自分が望む世界が実現可能なことを理解出来てきます

私達は人間であって ロボットではないのです
ロボットは自分の意思で考える事も出来ず 行動も起こせないのです
私達は自分自身の知恵で考え 意思で行動を起こします
精神世界を持っているからです
この精神世界を無防備にしてはいけないことを理解してください



笑顔の奥深くに潜む闇の世界 誰にも知られたくない嘘と羞恥の世界 

この世界を持っていることを 誰もが気づかないふりをする

知らないふりをすれば 闇は大手ふって横行する



何処までも続く 光のトンネルが見える 真っ白に光り輝いている

何処まで続くのだろ 遥か遠くを見渡しても入り口が見えない

どれだけの時が経たのだろう ?

光のシャワーを浴びながらトンネルを飛んでいる

次第に身体も心も軽くなり 汚れが消えていくようだ

どんどん消えていく 肉体を持っていたときの罪が許され癒されていく

そうか 私は戻ってきたのだ 天国に

心が晴れ晴れとして 心から喜びが沸いてくる

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死後の世界
死後の世界の事は これも貴方達同様私も 何度も経験してきていると想います

生きているときにも 一秒先の人生を一秒前に自分自身が決定していると言います
だとしたら 死後の世界の事も自分自身で決定していると言えるのではないでしょうか

私達は 物心ついた時から 大人達や親から 何かと罰があたる 悪い事をしたら地獄に落ちる と神仏に対する 崇拝観念と強迫観念の両方を植え付けられてきたと言えるのではないでしょうか
神仏とは 何かにつけて人間を簡単に 罰を当てられたり 地獄に落とすことをするもんだと思い込んでいました
それは 大人達が良く口に出して 子供達を戒めるのに利用したと言えるのではないでしょうか?

今から思えば 神仏は可愛いい わが子を成長させる為に 人間として作ったのですからそんな事をする訳がないと 理解できるようになりました 

死後の世界での行く先は 生前の自分自身が決めると言いました
教祖 お坊さん 達が 常々地獄と天国の事をお説教でお話をされて 「お題目を唱えれば必ず仏はお救い下される」 と その言葉を信じるならそれはそれで良いのです
信じるきる事 信じる心 はとても大切な鍵です

私が見せていただいた 光の世界(神の世界には 光の色によって段階がある)を 少し話をしたいと思います
今から書く事は 誰しもがこの光を何時も見ている事を思い出してください
ただの偶然? 気のせい ? 幻覚? 目の異常?と ふっとそんな体験してきていませんか?

皆さんどうかこれからは 視界の中を横切る色々な光の色に注意をしてください
一度これがその光のことかと認めると 後は何時でも目に入るようになります
目を瞑った瞬間 真っ暗闇の中 目に向けて車のライトのような光を 当てられてビックリするような事も起きてきます 
では 今まで見た光の色と形を 出来るだけ詳細に書きたいと思います (順不同)

☆ 透明の中に七色が光り輝き それはまるでダイヤモンドに強烈な光を当てた
  ような綺麗さでした  その光を見たのは 知人の頭から一直線天に向かって
  消え去りました
  

☆ エメラルドグリーンの世界 とても神秘的で癒される色 

☆ 白銀の世界        眩しくて目の奥に何時までも光の残影が残る

☆ 銀色の世界        光輝く銀のスプーンの色を想像してください

☆ 黒銀の世界        真っ黒の色に光輝く銀色をプラスしたような色

☆ 空色の世界        透き通るような青色 清々しく清涼感のある色

☆ 真っ白の世界       何処までも白く光輝く色

☆ 乳白色の世界       穏やかで暖かく心が安らぐ  陽だまりの色 

☆ 黄金色の世界       一面黄金色とても豪華だが 暖かく心が穏やか

☆ オレンジ色の世界     黄金色に近いオレンジ色

☆ ピンクの世界       乙女チックな世界

☆ 赤色の世界        激しく情熱の色

☆ 真っ黒の世界       暗闇の中 光のない世界

光が見える時は 必ずと言って良いほど 思考がボーットしている時が多いようです
殆どが 丸く見えたり 星の形であったり 時には蝶々が優雅に舞ってるように見えたり 幾つかの光が同時に見えたり 部屋中一杯に蛍が飛んでるように見えたり 大きな光が突然パッと輝いてビックリしたり その他色々な形や色で見えます

黄金色は仏界の最高位に属します 仏界から上は聖天界 天界 神界 下は霊界 幽界 地獄界に属します
この解釈の仕方は 神教 仏教の教えからきていますが どの宗教の教えも基本は ほぼ同じです
ある宗教は天国のみで 地獄というのは人間が作り出した創造の産物で 存在しないという考えの教えもあります

この光が あなた達の視界に入ったのなら それはあなたご自身がその霊を供養してあげた人たちです 光の色は行った先の神の世界の階級の色で 言葉でのメッセージを伝えられなくて光の色で知らせるのと 感謝を述べにきていることを知ってください
お礼に来ているのですから もし光が見えましたら どうか皆さん こう言ってください
「こちらこそ 有難うございます」 と返事をしてあげてください


 ここはなんと心地よい所なのだろう・・・

 身体が軽くて ふあふあしてる  とても癒される 

 傷ついたことは沢山あるが ここに居たらそんな事は 

 もうどうでも良くなってきた

 どんどん 以前の記憶が薄れていく 私は誰だったのだろう?

 それすらも どうでも良くなってきた 

 心が癒される まるで 母に抱かれてる赤子のように心地よい

 ずっと ずっと このままで居たい・・・




  
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死 とは
一つの記事を書き終えると 次に書くことは 「 何か?」 と祈りの中で指示を仰ぎます
中々指示が来ないときと 続けて二つ 三つと タイトルのメッセージを受け取る時もあります
タイトルだけ受け取り 記事の中身のメッセージが沸いてこないときは 一つの記事を書き終えるのに 何日も かかってしまい 中途半端な記事になる事もあり このブログにお出でくださった方々をガッカリさせてしまうこともあって 申し訳なく思っています
それで この タイトル 「 死 とは 」 です
このメッセージを受けたときは 正直に吃驚したのです
私には このような難しい記事は書けないと思ってしまったのです

過去生で 何度も { 死 } を 皆さんも同様 私も体験してきている事なのです

が 私自身 その事に何度か体験はしている筈なのですが 全くと言って良いほど記憶がないので いささか まだ深くは理解できていない点があり この記事を記載する事にも正直に迷いがあります
何故なら 「 死 」 という言葉は 誰にも言いえる事ですが 「 恐れ 」 を抱かない人はいないからです 何故恐れるか 生にたっぷりと未練があるからです
若いときには 「 死 」 とは 当分先のことで 実感が湧かないでしょう
実感が湧かない事を理解しなさいと言っても 右の耳から左の耳へ風が吹くように 抜けていくだけですね ( 私も若いときはそうでした・・・ 家族からみれば今も変わらないといいますが!)

それで 書こうと決めたら これまた吃驚なのです
書くことが 多すぎて 一気に色々な言葉が溢れてきて 収集がつかないのです
今こんな風に記事を書いているのには 頭の中に湧く言葉の整理をしないと 混乱きたしているからなのです
申し訳ありません
たわ言を書くだけ書いたら 整理が出来て この文が 後からは全く違う記事になっているかも知れないので 断りを入れておきます

[ 死 ] とは 精神世界から見れば [ 誕生 ] (又は 旅立ち)と 言います

ですが こう言う書き方をすると 皆さんの中には誤解をし 自殺願望者が増えてきている原因を問われる一因となるでしょうね

それでも この事はしっかりと理解しておいて欲しいので あえて書きます

「 死 」 を迎える時 幾つかのパターンがありますね
病死 老衰 餓死 溺死 事故死 自害 他殺 このどれかで私たちは この世での終わりを迎えるのですが ここからが大事な事なのです

どのような死であろうと 死を迎える瞬間 私たちの 「 心が何を思うか 」 なのです
一瞬 心が何を思うかなんて その時が来ないと想像つかないですよね
それに その一瞬 何も思えない死に方だってあります
ですが 即死だとしても 息を引き取る迄の数秒間 何も考えないとは決して言えないのです

人間の肉体から 「幽体」 (又は霊体)は 頭の頂点から抜けていきます
お通夜の 晩 身内の方は 別れを惜しんで 朝まで 付き添います  私も経験がありますが 布団に寝かしてあった遺体が 突然むくと起き上がり 生き返ったのかと吃驚した事を覚えています まだ子供の頃の話なのですが それを見て大人達はこの人も「 業(ごう)が深かったのか? まだこの世に未練があったのか?体から幽体が中々スムーズに出れないのだわ 」と 話していたことを覚えています  それで 業が深かった者は 死後硬直を起こし身体が音を立てて動く事を知りました  (学者 医者 の 皆さんは この世とは別の死後の世界があるとは認められないので 対外の方はこれらの事を真っ向から否定する人もいますが その中 僅かながらも 死後の世界の事を信じてもらえる人たちが 増えてきていることを喜ばしい現象だと思います)

何故スム-ズに抜けれないのか それは生前の生き方にかかわりがあります
今世での使命に気付き役目を果たし 人々にどれたけ奉仕ができたか? 自分自身も悔いのない人生が送れたか? この世に 物欲 財産 地位 名誉 情欲 等に執着し未練を残さなかったか?
これらが断ち切れていないと この思いが肉体と幽体との間にクサビのようなものが打ち込まれていて抜けられにくいのです

この クサビのようなものが打ち込まれている数だけ 生前自分自身が作った   「 業 」なのです
この「業」を 何時死んでも悔いが残らぬように 生きている間にきちんとした遺言を書き残し 家族が怒涛に巻き込まれぬようにするとか 自分自身もあの世に持っていけないものへの執着心を開放し手放して 心の整理をしておく必要があります
この 「心の整理」「未練の断ち切り」「執着心の開放」を心がけ悔いが残らぬよう 家族達に謝罪 反省 感謝の言葉を常々言っておくこと」 等 生きているうちに心の中を模索して 是まで気付きもしなかった自分自身の 思考を発見するのも良いかと想います



この世との別れが訪れようとしているが  まだまだこの世に未練は残る

まだ少し生きたかった・・・     欲を言えば限がない・・・

親様は こんな私を許し 迎え入れてくれるだろうか?・・・

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by hikarinoie | 2007-11-01 08:47 | 死 とは
執着心
執着心には 手放さなければいけないものと 手放してはいけないものとがあります

占いや相談事の この仕事を始めてから 三十年程になります
お蔭様で 友人 知人 には恵まれて この人たちとの会話の殆どが 精神世界のことばかりなので 何時も時間や家族の事や全ての事を忘れて話し込み 魂の洗濯をし 清々しい気持ちを味わいます たまにはこんな時間の過ごし方も良いものです
初めて体験し 困難だと思っていた事がクリアーした事とか 色んな問題事のアドバイスをしたり 私もアドバイスをしてる積りが 実は私へのメッセージだったり します
心の扉を全開にして話すのですから 耳に痛い事を聞いたり 言ったりの間柄 「心友」なのです
その間柄の 心友の会話の中で知った事が 「 執着心 」 のことです
私たちは 死んだ後で行く世界がある事を信じています その死後の世界の事の話をしますと 必ずと言って良い程 皆さんは 「 死ぬ事への恐怖はない 」 と言います

が その後に続く言葉があるのです

「 死ぬ事は 少しも怖くはない けれど 孫の花嫁姿だけは見たい」 「子供が一人前になるまでは生きていたい」 「何時でも 神のお迎えを 受ける心構えは出来ているが 出来る事なら もう少しこの世で余生を送りたい」 云々 があるのです
これが 「 生きる 」 事に対する 「 執着心 」 だよと言っても 本人たちは否定するのです

ある友人と会話をしていました
その友人は 数年前に リンパ球のガンになりましたが 友人も含む その家族たちは皆さん 神を信心しており その御蔭で奇跡的に助かり もうこの病気と闘って数年になります
奇跡的な生還に 家族は大喜びで 勿論神様に大感謝した事は 言うまでもありません
元気になるにつれて 生に対する希望が出てきて その希望が生きる源になっていったのです
これは 「 生に対する執着心 」 ですが この場合は この人には 「 絶対必要な執着心だった 」 と今でも思います

生に対する執着心ばかりではありません
故郷に対する執着心 お金に対する異常なほどの執着心 子供 親に対する執着心 土地 家 着る物 食べ物 飲み物に対する執着心 自分に固持する 問題事や悩み 憎しみなど まだ他にもありますが 皆さんも 自分自身は何に対して執着心を持っているか 考えてみたらどうでしょうか
思いもしない自分自身の思考を発見したりします
もし発見したら 若いうちは 執着しているものを まず手に入れてみてください
自分のものにしてみないと それらの価値観 善悪感等理解できるものではないからです




死に対して恐れを知ったとき 生に対する執着心を知る

九死に一生を得たとき 生に対する喜びと感謝を知る

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by hikarinoie | 2007-11-01 08:13 | 執着心